
年の瀬になると、玄関や神棚にしめ縄をかけるお家が多くあります。
街にお正月の雰囲気を醸し出してくれる不思議なアイテムです。
ところがこの縄、いったい何を束ねたものなのでしょう。
縄なのだから藁っぽいもの、くらいの見当はつくものの、その先はぼんやりしていないでしょうか。
今回はそんなしめ縄について、いったい何が材料で、またどうしてそれが選ばれたのか、この縄の中身を、一本ずつほどいていきます。






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しめ縄は、実は「稲わら」でできている
縄の正体は、稲わらです。
お米のあの稲の、茎を干したものを、ねじり合わせてできています。
「やっぱり藁か」と思われたかもしれません。
ところが、ふつうの藁ではないのです。

答えは稲わら。でも、ただの藁ではない
まず、ふつうの藁は、秋に米を収穫したあとに残る茎を干したものです。枯れて黄金色をしています。
しめ縄の中には、あれとは別の藁で作られるものがあります。
使うのは、米が実る前の、まだ青い稲なのです。

えっ、青いうちの稲を使うのか!?



藁っていったら黄金色が定番だと思っていたゾ。
米になる前に刈られる、青い稲
これを青刈りわらと呼びます。
稲穂がふくらむのを待たず、青々とした状態のうちに刈ってしまう。
時期は、夏の盛りの7月下旬から8月上旬ごろ。
それを乾燥させ、より分けて、秋から冬のしめ縄づくりまで、大切に保存しておく藁もあるのです。
ここでひとつ、立ち止まってみてください。
稲は本来、米を実らせるために育てます。
その稲を、実る前にわざわざ刈ってしまう。言ってみれば、お米になるはずだった稲を、飾りのほうへ回しているわけです。
なんとも贅沢な話ですね。
そこまでして青いうちに刈るのは、仕上がりが変わるから。
青刈りわらで作ったしめ縄は、お正月になっても青々とした色を保ち、稲の自然な香りが残るのだそうです。
枯れた藁の飾りではなく、夏の田んぼの匂いをまとった縄、というわけですね。



米になるのを待たずに刈っちゃうのか!なんかもったいないな。



食いぶちを削ってまで、見てくれを取るのカ。


↑しめ縄づくり
なぜ稲わらを、縄にして飾るのか
ここで、新しい疑問が立ちます。
お米になるはずの稲を手間をかけて刈ってまで、なぜそれを縄にして、神様のそばに掛けるのでしょう。
ただの草の縄なら、ほかの植物でもよさそうなものです。



草なら、どれでもよさそうなのにな?



確かにナ。何か、わけがありそうダ
稲は、日本の「実り」そのもの
まず、素材が稲であること自体に意味がありそうです。
稲は、昔から日本人の暮らしを支えてきた、実りの象徴のような作物です。
その稲から採れた藁を使って縄をなうことには、一年の実りへの感謝や、来年も豊かに実りますように、という願いがこもっているとされています。
神様に向けて掛けるものを、よそから持ってきた素材ではなく、自分たちを養ってくれる稲でこしらえる。
そう考えると、素材が藁であることは、たまたまではなさそうです。


「しめ」は「占める」だった
もうひとつ、縄にして張りめぐらす、という形のほうにも意味があります。
そもそも「しめ縄」の「しめ」とは何なのか。
これは「占める」からきているとされています。
占めるとは、場所を自分のものとして押さえること。
つまりしめ縄は、「ここは神様が占めている場所ですよ」という印なのです。
縄を一本めぐらせることで、そこから内側は神様のいらっしゃる神聖な場所、外側は私たちの住む俗世、という境い目が引かれる。
災いをもたらすものを中へ入れない、結界のような役割もあるとされています。
ただの飾りに見えて、あれは一本の線を引く道具だった、というわけですね。


古事記にさかのぼる、境界の縄
この縄の歴史は、思いのほか古いようです。
『古事記』には、天岩戸(あまのいわと)の神話のなかに「尻久米縄(しりくめなわ)」という縄が出てきます。
岩戸から出てきた天照大神が、ふたたび中へお隠れにならないよう、神々がその入口に張り渡したのがこの縄で、しめ縄の起源のひとつと伝わります。
奈良から平安のころには、魔除けの道具としても使われていたといわれます。
さらに奈良時代の『万葉集』では「標縄(しめなわ)」と書かれ、神様がそこにいるという目印として掲げられていました。
占める、区切る、しるしを立てる。
言葉は時代とともに移り変わっていますが、向いている方向は同じです。
足もとの藁は、千年以上も前から、神様の場所をしるす一本の線だったのですね。


まとめ
ねじれた一本の縄を、端からほどいてきました。
本体は稲わら。それも、米になる前にわざわざ刈った青い稲で作られるものがある。
その稲は実りそのもので、縄にして張れば「ここから先は神様の場所」という境い目になる。
今年の年末、玄関や神棚にしめ縄をかけるとき、それが初夏の田んぼから来た一本の線だと思い出していただけたら幸いです。














