
これを焚くと、その場が浄化される──
SNSのショート動画で、あるいはお店のレジ横で、そんなひと言を耳にしたことはないでしょうか。
白い煙がゆらりと立ちのぼり、「浄化」という言葉が当たり前のように添えられている。
けれど、あらためて考えると、これはなかなか不思議な光景です。
なぜ、葉っぱを焚くことが「浄化」になるのでしょう。
効くとか効かないとか、その前に。
いったい誰が、どういうわけで、一枚の葉にそんな力を託したのか。
今回は、ホワイトセージの浄化にまつわる「なぜ」を、その言い伝えの背景から辿ってみようと思います。
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ホワイトセージの浄化は、どこから来た習慣なのか
この習慣のふるさとは、日本から遠く離れた北米の大地です。
ホワイトセージが自生するのは、アメリカの南カリフォルニアから、メキシコのバハ・カリフォルニアにかけての乾いた一帯。
世界を見渡しても、ほぼこのあたりにしか生えていない植物だとされています。
その名のとおり、銀色を帯びた白っぽい葉をつけます。

↑ホワイトセージの葉
この一帯には、チュマシュやカフイラといった先住民の人々が暮らしてきました。
チュマシュの人々は、乾かしたホワイトセージの小枝をアワビなどの貝殻にのせ、火をつける。
炎を吹き消してくすぶらせ、立ちのぼる煙で、人や場所を清めていく。
そうした営みが、古くから伝わってきたといわれています。
英語では「スマッジング」と呼ばれる、儀式のようなものです。
では、なぜ数ある草木のなかで、この葉だったのでしょうか。
その土地に身近に自生し、香りの強い植物だったから、なのかもしれません。
遠くから取り寄せる特別な木ではなく、足もとに生えている身近な葉。
その香りの強さに、人々は少しずつ特別な意味を見いだしていったようです。
乾いた大地で、白っぽい葉をつけたまま強く香るその姿は、それだけで少し目を引く存在だったのかもしれません。
乾かした葉を棒状に束ねた市販品は、「スマッジスティック」の名で売られています。

焚くだけではない、暮らしの草
もっとも、この葉は焚くためだけのものではなかったようです。
煙の儀式を受け継いできたチュマシュの人々は、この葉や茎を食べものにもしてきたといいます。
カフイラの人々は、種をたくさん集めて粉に混ぜ、粥や焼き菓子のようなものにしたと伝わります。
根を煎じたお茶は、お産を終えた女性の体をいたわるために飲まれたそうです。
食べて、飲んで、そして焚く。
儀式の道具というより、台所にも、薬箱にも、祈りの場にも顔を出す、暮らしの草だったわけですね。
料理のセージとは別の“香りの葉”
ところで、セージと聞くと、肉料理の香りづけに使うあのハーブを思い浮かべる方もいるかもしれません。
ただ、ホワイトセージは、料理に使うセージ(コモンセージ)とは別の植物です。
同じシソ科サルビアの仲間ではありますが、スーパーの棚に並ぶ料理用のセージとは、別の種です。

↑コモンセージ
料理の香りづけより、その強い香りそのものが大切にされてきた葉です。
同じ「セージ」の名でも、台所に立つ顔と、煙をくゆらせる顔は別、というわけですね。
ちなみに、セージの仲間をまとめる学名「サルビア」は、ラテン語の「健やか」「癒やす」にあたる言葉から来ているとされます。
ホワイトセージの学名は、サルビア・アピアナ。
アピアナは「ハチの」という意味で、花にハチがよく集まることから付いたそうです。
癒やしの草に、ハチが群がる。名前だけで、ひとつの風景になっています。
なぜ「焚くこと」が場を清めると考えられてきたのか
さて、いよいよ核心の「なぜ焚くのか」です。
ここには、香りと煙に対する、昔ながらの感じ方が関わっているようです。
火にくべた葉から立ちのぼる、白い煙。
それが上へ上へと消えていく様子に、人は意味を重ねてきました。
悪いものを運び去ってくれる。天へと願いを届けてくれる。
煙は、地上と、その先にある大きな何かとをつなぐ、橋のような存在だったのでしょう。
火をおこし、煙を立てるという行いそのものが、ふだんの時間と祈りの時間とを分ける合図になっていたのかもしれません。
加えて、ホワイトセージの香りは、なかなかに強めです。
その匂いが部屋いっぱいに満ちると、空気がぐっと入れ替わったように感じられます。
その「変わった」という体感が、「清まった」という実感に重なっていったのかもしれません。

立ちのぼる煙に託されたもの
ここで、ひとつ添えておきたいことがあります。
ホワイトセージの煙が部屋の空気をきれいにする、といった効果が確かめられているわけではありません。
これはあくまで、人が香りと煙に託してきた、祈りや言い伝えの話。
「清める」という言葉も、科学の言葉というより、気持ちを切り替えるための、文化の言葉に近いのだと思います。
そう捉えてみると、「なぜ浄化になるのか」の答えは、葉の成分の中ではなく、人の心の側にあった。
そういうことになりそうです。
榊やお香、南米のパロサントも
香りのよい植物で場を清める、というこの発想。
実は、ホワイトセージだけの特別な話ではありません。
日本にも、神棚に青々とした榊を供える習わしがあります。
お寺に流れるお香の煙も、気持ちを静め、場を改めるものとして親しまれてきました。
南米には、パロサントという“聖なる木”があり、その香りで場を清める習慣が伝わっています。
遠く離れた土地の人々が、それぞれに、香りへ同じような願いを託してきたわけです。
ホワイトセージは、その世界的な営みの、いわば“アメリカの一枝”なのですね。

↑パロサント
禁じられていた祈り、持ち去られる葉
最後に、この煙がたどってきた道のりの話を。
アメリカでは長いあいだ、先住民の人々の信仰や儀式の多くが、法律や政策によって妨げられてきました。
なかには、禁じられた儀式もあったといいます。
彼らが自分たちの祈りを自由に行う権利が、法律にはっきり書きこまれたのは1978年。
いまから、ほんの半世紀ほど前のことです。
今の時代では何気なく眺めることができるあの煙は、自分たちの祈りを堂々と行うことさえ難しい時代をくぐってきた人々の煙でもあったわけです。
そしていま、別の困りごとが起きています。
世界的な人気を受けて、自生地から野生のホワイトセージが大量に持ち去られているのです。
2022年の現地報道によれば、南カリフォルニアのある保護区のまわりだけで、それまでの10年ほどに1万5千ポンド、およそ6.8トンを超える量が盗み採られたとみられています。
2018年には、400ポンドを無断で刈り取った4人が逮捕されています。
この地域の先住民の団体で役員を務める女性は、取材にこう答えています。
「先住民にとって、ホワイトセージはご先祖さまです。ただの植物ではありません」
現地の植物保護団体が先住民の人々と進めるキャンペーンは、裏づけのない「野生採取」の商品は買わないこと、そして自分で育てることをすすめています。

↑乾燥させたホワイトセージ
まとめ|香りの葉に、清めの力を託した物語
「なぜホワイトセージを焚くと浄化になるのか」。
その答えは、葉そのものの力というより、人がその香りに込めてきた願いのなかにありました。
北米の乾いた土地に生きた人々が、身近な香りの葉に、悪いものを払い、場を改める力を託してきた。
そしてそれは、榊やお香と同じく、世界のあちこちで芽生えた祈りのひとつでもありました。
さらに祈りが妨げられた時代をくぐり、いまは流行の波にさらされながら、その祈りは受け継がれているのです。
もしホワイトセージを焚くことがありましたら、遠い土地の人々の長い時間が揺れていることを、少しだけ思い出してみてください。
おまけ|ホワイトセージの浄化感を試してみる




