
お彼岸が近づくと、田んぼのふちや墓地のすみに、真っ赤な彼岸花の群れが現れます。
葉っぱの緑色も混じらず、高さも大体同じ、同じ場所に、毎年同じ頃、申し合わせたように。
彼岸花の名所なら、人が手入れをして“その状態をつくっている”とも考えられます。
けれど、誰も世話をしていない田んぼの隅にも、やっぱり同じ赤が群れている。
どうして彼岸花は、こんなところにまで、きまって群れているのでしょう。
この記事ではそんな疑問から、彼岸花の性質を探っていこうかと思います。
なぜ、いつも同じ場所に群れるのか
じつは彼岸花、あれだけ盛大に咲いておいて、種をつけません。
日本の彼岸花は「三倍体」という体のつくりをしていて、正常な種が作れないのです。
増える手段は、なんと土の中にしかありません。
球根が分かれて、隣へ、また隣へと増えていくだけなのです。

一個の球根が、926個に
その増え方を示す観察があります。
日本植物生理学会の紹介によれば、一個の球根が、30年以上かけて926個にまで増えた例があるそうです。
900個と聞くと大群のようですが、分かれた球根は、親株のすぐ足もとに重なっていくだけ。
30年以上かけても、群れはもとの場所をほとんど離れられないのです。
しかも日本の彼岸花は、遺伝的にみな同じクローンだとされています。
同じ場所の花の咲く時期も、大きさも、背丈もきれいに揃うのは、そのため。
つまりあの群れは、同じ顔がずらりと並んでいるわけです。

自分のコピーで埋めただけの群れカ。そう思うと切ないナ。



オレはかっこいいと思うぞ!


葉を見ないまま、赤だけが立つ
あの群れが赤一色に見えるのには、もうひとつ理由があります。
彼岸花は、葉が出るより先に花が咲きます。
花の時期に葉がなく、葉の時期に花がない。「葉見ず花見ず」という別名まであるほどです。
だから花どきの彼岸花は、緑を一枚もまとっていません。
同じ丈の、同じ顔が、葉も交えずに、いっせいに立つ。
群れ全体が、緑の混じらない赤一色に見えるのは、そのためです。



確かに、全部が一気に咲くイメージだ!



花と葉が、いっぺんも顔を合わせないスケジュール感というわけカ。
それでも、球根は歩けない
さて、かたまって咲くわけも、赤一色に見えるわけも分かってきました。
——けれど、考えてみると妙なのです。
球根は自分では動けません。分かれて増えても、広がれるのは株のすぐ周りだけ。種も飛ばせない。
それなのに彼岸花は、日本中の田んぼのふちや墓地に、点々と群れている。
しかも、畦のきわ、墓のすみと、決まった場所にばかり。
あの球根を運んで、植えたのは、いったい誰なのでしょう。


毒の球根を、誰が、何のために植えたのか
それを運んだのは動物でなく、人だというのが通説です。
そもそも彼岸花は、日本にもとからあった花ではありません。
原産地は中国大陸で、有史以前に海を越えてきたとされています。
自分では一歩も動けない花が、海を渡り、北から南まで行き渡ってきたのですね。
稲作が伝わったころ、土に球根がまぎれて広まったという見方もあれば、人があえて持ち込み、畦(あぜ)や土手に植えたのだと推測する意見もあります。
どちらにしても、あの各地の群れは、人の手を経て広がった跡、というわけです。
ただ、そうなると引っかかることがあります。
彼岸花の球根には、毒があるのです。
球根(鱗茎)には作用の激しいアルカロイドが含まれていて、その半分ほどを占めるのが、リコリンという成分。
口にすると、よだれや吐き気、腹痛をともなう下痢を起こすとされています。重い中毒では、命にかかわるともされます。
そんな危ないものを、なぜ田んぼのすぐわきに、わざわざ植えるのか。



毒のある球根を、わざわざ植えたのか!?



地雷を植えてるのと一緒じゃないカ?
畦と墓を守る、赤い番人
じつは、その毒こそがお目当てだったと考えられています。
田んぼの畦には、ネズミやモグラが穴を開けて水を漏らしてしまう、という悩みがありました。
毒の球根を畦にずらりと植えておけば、穴を開ける者たちを遠ざけられる。
墓地のほうは、もう少し切実です。
土葬だった時代、埋葬された亡骸が、動物に掘り返されてしまうことがありました。
それを防ぐ番として植えられたと考えられています。
彼岸花の群れが、畦と墓のきわにばかり寄っているのは、偶然ではなかったのです。
あの赤は、水田と眠る人を守る番人として置かれた赤だった、というわけです。


その毒が、飢饉の食べ物でもあった
ところで、番人を置いたあとのことを考えると、不思議なことがあります。
毒のある球根を、人は畦と墓に植えたまま、何百年も暮らしてきました。
危ないものなら、どこかで掘り返して捨ててもよかったはずです。
ところが、抜かれなかったどころか、各地でわざわざ植えられてもいたようなのです。
古い時代、飢饉の際に人々を救う「救荒作物」として植えられた、と考えられています。
番人を任せるほどの毒を、食べる。穏やかではありません。
水にさらせば、毒は抜ける
種明かしは、毒の性質にあります。
毒の主成分であるリコリンは、水に溶けるのです。
球根をすり潰し、長い時間水にさらし続ければ毒は抜け、あとにはデンプンが残る。
それを、飢えた年の食べ物にしたと考えられています。
毒のおかげで、ふだんは人も動物も手を出さない。だからこそ、いざという年までそこに残っている蓄えだったのかもしれません。
(もちろんこれは昔の話。今は食用にされていませんし、推奨もされていません。)
ふだんは畦と墓を守らせ、飢えた年には毒を抜いて命をつなぐ。
人がこの球根に託したものは、思いのほか重かったようです。


まとめ
見慣れた赤い群れを、ぐるりと裏側から眺めてきました。
- 日本の彼岸花は種ができず、球根が分かれて増えるだけ
- だから各地の群れは、人が球根を運んで植えた跡と考えられている
- 植えた理由は毒。畦と墓を守らせ、飢饉の年には毒を抜いて食料にもしたと考えられている
こうなると、あの群れはもう、ただの秋の景色ではありませんね。
今度のお彼岸、田んぼのふちで赤いかたまりに出会ったら、少しだけ想像してみてください。
なにかを守ろうとした人たちの思いがそこにあったのかもしれないと。










