
心をおちつけ、背筋を伸ばしてくれるヒノキの香り。
アロマに使われる樹種は数あれど、なぜか、ヒノキは“ただのアロマ以上のなにか”が体に働きかけてくる気がします。
おそらく、「プラシーボ効果」なのでしょう。
ただその一方で、日本人の心の奥底に「ヒノキは神聖で特別な木である」という、古い記憶が刻まれているような気もするのです。
今回は、神話の時代から現代まで、ヒノキと日本人が織りなしてきた物語を、時系列の「短編集」としてお話ししてみようかと思います。
神様の胸毛から生まれた木|『日本書紀』の不思議な記述
まずは時計の針を大きく巻き戻し、神話の時代から。
スサノオノミコトの胸毛から生まれたヒノキ
日本の古い歴史書である『日本書紀』に、ヒノキの誕生について記述がでてきます。
なんだか不思議でユーモラスで、そして少し“ゲテモノ”チックな内容です。
荒ぶる神・須佐之男命(スサノオノミコト)が、自分の「胸毛」を抜いて地にまいたところ、そこからヒノキが生えてきた、というエピソードです。
「もう少し“清潔感のある登場方法”はなかったのか?」とも思いますが、物語を先に進めます。
さらにスサノオノミコトは、こう言い渡したそうです。
「スギは舟に、ヒノキは宮殿(神社)に、マキは棺にせよ」
つまりヒノキは、神話の時代からすでに「神様を祀る神聖な建物のための木」として、はっきりと運命づけられていたわけですね。
いかがでしょうか、こんなストーリーが生まれるほどです。
古代の日本人にとっても、ヒノキがどれほど特別で畏れ多い存在だったかがよくわかります。

↑胸毛シーンのイメージ
【小話】ヒノキの語源と、いまも続く「神様の火起こし」
ちょっと話は変わりますが、「ヒノキ」という名前の語源をご存知でしょうか。
太陽のように最高級で尊い木だから「日の木」とする説。
そして、昔の人が木をこすり合わせて火を起こすのに使ったから「火の木」とする説があります。
実はこの「火の木」、大昔で終わった話ではありません。
現在でも伊勢神宮などでは、神様にお供えする食事を作るための火を、ヒノキなどの板をこすり合わせて起こしているそうです。
便利に暮らせる現代の裏側でも、ヒノキは今も「神聖な火を生み出す木」としての役割を続けているのですね。
1300年を生き抜く。法隆寺とヒノキの数奇な関係
時は流れて、飛鳥・奈良時代。
日本に仏教が伝来し、巨大な木造建築が次々と建てられるようになりました。
永遠を願って選ばれたヒノキの驚異的な性質
法隆寺、薬師寺、そして神道の最高峰である伊勢神宮。
これらの建築には、こぞってヒノキが選ばれています。
ではなぜ、ヒノキでなければならなかったのか。
それはヒノキが持つ、まるで生き物のような驚異的な性質にも理由がありそうです。
古来より宮大工さんたちの間での“言い伝え”ですが、「ヒノキは伐採されてから200年かけて強度が増し、その後、1000年という途方もない時間をかけて元の強度に戻っていく」といった話もあります。
(※強度の変化や年数には諸説あります)
それに、1300年以上の歴史を持つ法隆寺の柱をいま鉋(かんな)で削っても、あの上品で清々しいヒノキの香りがフワッと漂うそうです。
にわかには信じがたい話ですが、もし本当だとしたらなんて摩訶不思議な性質でしょう。
1000年先も残る建物を造るため、当時の人々はヒノキの持つ「生命力」に祈りを託したのかもしれません。

【小話】式年遷宮からのヒノキのリレー
また、ご存知の方も多いと思いますが、伊勢神宮では、20年に一度、社殿を建て替える「式年遷宮(しきねんせんぐう)」を行っています。
なんとここに使うヒノキの数は1万本とも言われています。
では、20年経って解体される社殿のヒノキはどうなるのでしょうか。
実は、解体された古いヒノキは決して捨てられません。
全国各地の神社へと配られ、鳥居や社殿として「第二の人生」を歩むのです。
ヒノキの圧倒的な耐久性があるからこそできる、究極のエコであり、美しい祈りのリレーです。

「木一本、首一つ」の恐怖。檜舞台が生まれた理由
さらに時代は下り、舞台は江戸時代へ。
万能ゆえの危機と「木一本、首一つ」の掟
ヒノキは美しく、耐久性があり、加工もしやすい万能な木。
そのため、建材、家具、お風呂の桶にいたるまで、あらゆる場面で「最高の木」として引っ張りだこになりました。
しかし、あまりに人気が出すぎたため、山から太くて立派なヒノキが次々と姿を消していくという大きな危機を迎えます。
そこで尾張藩などは、森を守るために超厳格なルールを敷きました。
それが「木一本、首一つ」という掟です。
許可なくヒノキを一本でも伐ったら、死罪。
なんて極端で強烈な法律でしょう。令和の今では考えられません。
ただ、それほどまでに厳しく守り抜かれたのが、のちに日本三大美林と称される「木曽ヒノキ」のルーツだそうです。

↑取り締まりイメージ
一流の証「檜舞台」の誕生
ヒノキがいっそう貴重になったことは、やがて芸術の世界にも影響を与えたといわれています。
貴重なヒノキの舞台を作ることが許されたのは、幕府が公認したごく一部の大劇場だけ。
「あのヒノキで作られた舞台に立てるのは、選ばれし一流の役者だけ」──
今でも、晴れがましい大きな舞台のことを「檜舞台(ひのきぶたい)」と呼ぶのは、この歴史的な背景からきているのです。

【小話】「明日はヒノキになろう」弟分・アスナロの物語
日本には、ヒノキによく似た「アスナロ」という木があります。
漢字で書くと「翌檜」。
そう、昔の人はこの木を「明日はヒノキになろうと頑張っている木」だからアスナロだと表現しました。
“二番煎じ”的な名前の付け方も何だか切ないですが、ヒノキがあまりに完璧で絶対的な王者だったからこそ生まれたエピソードです。
ヒノキは「日本だけ」の木? 海を渡ってきた兄弟の話
そして時代は近代から現代へ。
海を渡り、日本の神聖な風景を支えた台湾ヒノキ
「ヒノキは日本の固有種だ」と聞いたことがある方もいるかもしれません。
それは正しく、確かに日本のヒノキは日本にしか自生していません。
しかし実は海の向こうに、近縁種であるヒノキの「兄弟」がいます。
台湾の深い山々に自生する、台湾ヒノキやベニヒといった木々です。
先ほどもお話ししましたが、日本では近代に向かうごとに、太いヒノキが枯渇し、巨大な木材が手に入りにくくなるという歴史をたどってきました。
近代に入り、そういった時に助けてくれたのが、この台湾ヒノキたちなのです。
明治神宮に建てられた堂々たる初代の大鳥居や、日本各地の歴史あるお寺の修復に、海を渡ってきた巨大な「台湾ヒノキ」が使われました。
日本の神聖な風景を守るために、台湾で育った兄弟ヒノキが大きな力で支えてくれていた。
そう考えると、また少し違った温かいロマンを感じます。

↑明治神宮
まとめ|ヒノキはこれからも、日本人の心の拠り所
神様の胸毛から始まり、1300年を生き抜く柱となる。
その名の通り“命がけ”で守られ、檜舞台の語源ともなった。
おそらく、ここでご紹介したお話以外にも、ヒノキにまつわる話は日本全土に山ほどあるのだと思います。
我々の先祖の先祖の、そのまたご先祖様の時代から、ヒノキは「日本人の心の拠り所」のような存在だったのではないでしょうか。
ヒノキは“ただのアロマ以上のなにか”が体に働きかけてくる気がする──
冒頭にこんなことをお話しし、プラシーボ効果とも言いましたが、まんざらプラシーボ効果だけでは語ることのできないものもあるのかもしれません。




