わたしたち人間は、思っている以上に「木」に頼って生きてきました。
それも、ちょっとした家具や雑貨のレベルではありません。
文明の技術、暮らしの基盤、そして、国を動かす軍事力までもが、じつはずっと森に支えられていたのです。
でもそれは「木ってありがたいね、ありがとうね」という話ではありません。
今回お伝えしたいのは、“むしろその逆” 。
木はあまりにも使われすぎて、森そのものの姿が変わってしまったことも。

そんな“森を酷使した歴史”は、じつは思っているよりも、ずっと多くあったのです。
それでも、わたしたちは木を求め、木を使ってきました。
今回は、そんな「木と文明」の知られざる関係を、すこし遡って、見ていきたいと思います。

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文明のなかで、どのように木が使われてきたか?
私たちは、歴史の中で、森の恵みを「便利だから」という理由で、惜しみなく使ってきました。
それは、木材がなければ成り立たなかった技術や産業が、いくつもあったからです。
ここでは、森林に大きな影響を与えてきた代表的な技術や産業について、少し見ていきたいと思います。
①製鉄(治金)産業
まずは金属です。
金属をつくるには、ものすごく高い温度が必要です。
その熱源として、かつて頼りにされていたのが「木炭」でした。
木炭は、木を窯の中でじっくり蒸し焼きにして炭化させたもの。
火力が安定し、高温にも耐えられる燃料として、鉄をはじめとする金属の精錬には欠かせない存在でした。

↑中世の高炉(出典:鉄の文明 岩波書店)
そして、木炭をつくるための火にも、また薪となる木が必要です。
つまり、金属をつくるには、炭にする木と、その炭をつくるための薪と、燃やして使う木炭と、一度の製鉄の裏で、とても多くのの木が消費されていたわけです。

↑木炭
②焼成レンガ
レンガもじつは、木材の恩恵を実はうけています。
古代の建築でよく使われていた「日干しレンガ」は、土を固めて天日で乾かしたもので、これは手軽に作れる反面、雨に弱く、崩れやすいという弱点がありました。
そこで登場したのが、「焼成レンガ」。
土をしっかり焼き固めることで、水に強く、丈夫で長持ちする素材へと進化したのです。
でもその “焼く” という工程には、高温の熱が必要です。
その熱源として、ここでも大量の薪や木材が使われていました。

↑焼成レンガ
③木造建築
大きな建物もまた、木材へ大きく依存していました。
古代や中世の建築といえば、宗教施設や公共建築、あるいは権力の象徴としての城や宮殿など、巨大な木造建築が次々と生まれます。
もちろん、柱にも梁にも、床にも屋根にも、あらゆるところに木が使われました。
さらには、足場や仮組みのためにも材が必要で、建物をひとつ建てるだけで、大量の木が必要とされたのです。
建築技術の発展は、文明の進歩の証でもありましたが、その裏では、「木があるからこそ建てられる」という、資源依存の現実もあったのです。
④船舶
そして「船」も、この話では外せない存在です。
都市と都市をつなぎ、ものや文化を運ぶ“貿易の主役”は、いつの時代も船でした。
その船をつくるたびに、丈夫で大きな木が、森から切り出されていったのです。
交易が広がるにつれ、船はどんどん大型化し、それに比例して、必要とされる木材の量も膨らんでいきました。
日本における森林破壊
さてそれでは、日本において森林との付き合いはどうだったのでしょうか。
「日本は緑が多いから、森林破壊とはあまり縁がなさそう」
そんなイメージを持っている方も多いかもしれません。
けれど実際は、日本も決して“例外”ではなかったのです。
たとえば、飛鳥時代から奈良時代にかけての約200年間。
21回の遷都(都の引っ越し)が行われましたが、そのたびに、新しい都の建設に必要な大量の木材が、近くの森から切り出されました。
結果として、畿内に広がっていた針葉樹と広葉樹の混ざり合った自然林は姿を消し、やせた土地でも育つアカマツばかりの森へと変わリ果てました。

ーーーさらに時代が下って、戦国の世。
全国にお城が築かれるようになると、森林の消耗はさらに加速します。
大きな柱、大きな梁。名だたる城郭たちは、その裏で、たくさんの森を使ってきたのです。
たとえば、あの東大寺の大仏殿。
過去に2度焼失し、再建されましたが、江戸時代の再建時には、もうヒノキの巨木が手に入らず、代わりにケヤキを使い、それをヒノキの板で覆い、鉄釘と銅輪で補強して「ヒノキらしい柱」に仕立てたそうです。
このように、日本もまた、木を求めるあまり、森を追い詰めてしまった歴史を、しっかりと持っているのです。

↑巨大木造建築物 姫路城
軍事を支えていた森林資源
それにしても、なぜ人類は、ときに “文明そのものを崩しかねないほど” まで、森を使い続けてきたのでしょうか?
その大きな理由のひとつに、「軍事」があります。
国家の権力や国力を支えるのは、“どれだけ強い軍事力を持っているか” ではありましたが、そしてその軍事力を支えていたのが、ほかでもない「森」だったのです。
つまり、森林資源の豊かさが、そのまま軍事の強さに直結していたということ。
そんな軍事と森の接点は、大きく分けて2つあります。
その関係を、もう少しだけ掘り下げてみましょう。
①金属の武器
やはり一つ目は「武器」です。
金属の武器は、石や木の道具に比べて、はるかに強く、壊れにくく、そしてよく切れる。
そんな武器をどれだけ持てるかが、そのまま「軍の強さ」を左右していた時代がありました。
だからこそ、当時の権力者たちは、こぞって製鉄(治金)に力を注いでいきました。
この治金技術の裏には、先にも触れたように、常に森の力がありました。
燃料となる木炭、そしてその木炭を生み出すための薪。
戦うために必要なものは、まずは「木」からはじまっていたのです。
中世に入ると、武具だけでなく「大砲」のような重火器も登場し、ますます金属の需要が拡大。
②軍用船の建造
もうひとつ、軍事と森をつなぐ存在が「船」でした。
国家が海の向こうとつながり、隆盛を誇るには、制海権を握ることが欠かせなかったのです。
そのためには、たくさんの軍船をつくる力、そして、それを動かす技術が必要でした。
でも、その船をつくるにも──やっぱり大量の「木」が必要だったのです。
古代〜中世の地中海では「ガレー船」と呼ばれる、細長い船が主流でした。
漕ぎ手の人数で操船力が決まるため、船はどんどん大型化。
その細長い船体を支えるためには、高くてまっすぐな木が不可欠でした。

↑ガレー船
そして時代が進むと、今度は「帆船」の時代へ。
ここでも「まっすぐな巨木」が帆柱(メインマスト)として求められます。
特に巨大帆柱は、一本の欠けもない長大な木でなければなりませんでした。
つまり、巨木を調達できる国が、強い海軍を持てたということだったのです。

↑帆船
まとめ|森の消耗はカタチをかえて今も…
薪や木炭に頼らない、新しい製鉄技術が登場したことで──森林を大量に伐る必要は、いったん落ち着きを見せます。
しかしその代わりに使われるようになったのが、石炭や石油といった化石燃料。
そして、それらの大量消費がもたらしたのが、いま私たちが直面している「気候変動」の問題です。

↑現在の製鉄工場
森を使いすぎてしまった過去と、エネルギーを使いすぎてしまった現在。
人類の歴史の中で、何かを得るために、何かを削ってきた構造は、そう大きくは変わっていないのかもしれません。
ちょっと重たい話だったかもしれませんが、ちょっとシビアな話が続いてしまいましたが、こうして振り返ってみることも、森のありがたさをあらためて感じる、ひとつのきっかけなのかもしれません。

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